「グローバル人材」について思うことなど

正月休みで時間があったので国家戦略室からでていた「日本再生の基本戦略」http://www.npu.go.jp/policy/pdf/20111222/20111222-1.pdf を眺めていた。全体的に「話はわかるけど具体的にどうするの」という印象をうけたのだが、その中でグローバル人材,という話が出てきたので関連するかもしれない話題で思ったことをまとめておこうと思う。

余談だけどこの手のプレゼンは「何をします」だけじゃなくて「何を諦めます」っていうのを明記してほしい。最終的な実行プランでは「これは今はやらない」っていうのを決めないと締め切りが決まらない、っていうのは結構明らかだと思うんだけれど、この手のプレゼン資料でそれを明記してあるものってほとんど見たことがない。そっちが明記してあれば少なくとも考慮されたことが明らかになるし、その理由の説明が必要になって議論の活性化につながるはず。

閑話休題。

「グローバル人材」という言葉を今聞いて感じるのは,「やたら肩の力入ってるな」ということだ。そもそもこの話題は大抵英語の運用能力の話と、そこから切り離して考えられるべき普通の実務能力がごっちゃにして語られることが多い。「グローバル人材」もその一例だと思うんだけれど、「英語で(も)仕事ができる人を増やす」というのでただ言い換えた方がよっぽど広く受け入れられてかつ取り組みやすい話になると思う。

そもそも英語をなんとか利用できるレベルまで習得することはスポーツに近く,実務能力を上げるよりは相対的にハードルは低くてただ練習次第だ。言い換えると,いわゆる「学歴」「実務能力」と英語運用能力に相関がないとは言わないけれど「接触時間」「発話量」の方が相関が高いようにしかみえない。実務能力の話を脇に置いて英語運用能力の習得は筋トレみたいなものです、というのを明確に誰かが断言するだけで「グローバル人材の育成」に含まれる内容の片方は大分地に足の着いたものになるんじゃないだろうか。(もう片方として「研究などを含めた実務能力」の向上、が意図されていると思っている)

1年前の自分も肩に力が入っていたからこう思うのかもしれない。逆説的なんだけれど、こちらに来た当初にちょっと挫かれたのは,自分が英語に投資してきた(今もしている)時間や努力が全く評価の対象にならないということだった。「英語あんましゃべれないのは(別にどうでも)いいんだけど、仕事はできんの?」という評価のされ方で、英語の運用能力と実務能力を切り離して考えざるを得なくなる。それで1年間やった後だから、「グローバル人材」=「世界的に活躍できる人を目指します」というざくっとした姿勢になんとなく違和感を感じるというのはあると思う。

なお、「英語は筋トレ」というのは元Googleの村上憲郎氏も著書の中でおっしゃっていた(はず。今手元にないけど)。ちなみに村上氏の「村上式シンプル仕事術―厳しい時代を生き抜く14の原理原則」も、アメリカ人と仕事をする上で抑えておいた方が点について新しい視座を提供していて参考になった。




「「英語勉強しないとまずいよな」と思っている人の実務能力は海外でも多分問題なくて,その実行に必要な英語運用能力の取得は筋トレ」というのが意識としてもっと共有されるといいと思う。あともう一つ「国際競争に打ち勝つ人材」というのも引っかかったけれど、それについては気が向いたらまたそのうち考えをまとめようかな...。
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